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被爆70年 守るべき いのちと尊厳 (第4回)

被爆70年 守るべき いのちと尊厳 ―核兵器のない世界へ― (第4回)

国際赤十字は2011年、世界の赤十字社が集う国際会議で、核兵器廃絶を世界に呼びかける決議を採択しました。その理由は「もし核兵器が使用された場合、その犠牲者を誰も救うことはできない」という人道的観点によるものです。広島、長崎への原爆投下から70年。核兵器はどう人間のいのちと尊厳を脅かし、人びとはそれにどう立ち向かったのか。赤十字の歴史の中から紐解いていきます。

●救援の司令塔からのメッセージ ~1945年8月9日、長崎~

「皆を知事室に集め、『それでは』と言いかけたところに、佐世保市長の小浦君が来て、室に入れたら、『広島はエライことになりましたね』という。『今、ちょうど、そのための会議を始めようとしたところだ』と言った途端に、電灯が消えた。壕の外に出て見た。遥か向こうの浦上方面一面が、真黒な煙に包まれ、赤い火の手はまだ見えなかったが、濛々として大火事となっており、ずっと高いところまで雲のような煙が立ちこめていたのである」(『長崎県警察史 下巻』)

これは1945(昭和20)年8月9日、長崎への原爆投下時、県知事で日赤長崎県支部の支部長でもあった永野若松氏の証言です。

爆心地から約2.7㎞離れていた県の防空本部(立山防空壕)にいたため原爆の直接的な被害を免れた永野氏は、徐々に明らかになる原爆被害の惨状の報告を受け、九州各県に救護班の派遣を要請するなど、不眠不休で救護活動を展開しました。広島とは対照的に、長崎では行政の指揮命令系統が機能を続けたことが不幸中の幸いでした。しかし、従前から救援の拠点とされていた旧長崎医科大学付属病院は、屋上に赤十字マークを掲げていたにも関わらず、鉄筋コンクリートの外郭を残して壊滅。内部は全焼し、学長をはじめ職員・学生892人と患者約200人が死亡しました。

国際赤十字にジュネーブ条約違反の調査を依頼

ジュネーブ条約(赤十字条約)の最も基本的な原則は、「戦闘に無関係な人は攻撃から区別し、傷ついた人は救護する」こと。原爆

の死傷者の大半が市民であったことを目にした永野氏は、東京の日赤本社宛に次のような電報の案文を作成しています。

「八月九日長崎市空爆に付使用せる原子爆弾は其の被害甚大にして被害者の大部分は非戦闘員なり(中略)至急国際赤十字に対し現地調査方御配慮を乞う」(泰山弘道『完全版長崎原爆の記録』東京図書出版会)

この電報は救援の要請ではなく、ジュネーブ条約の違反行為の調査を求めるものでした。

結果としてこの電報は日赤本社に送信されませんでしたが、1963年にはいわゆる原爆訴訟東京地裁判決が「原爆投下は国際法に違反する」ことを、1996年には国連の国際司法裁判所が「核兵器の使用は国際人道法の基本原則に反する」ことを明らかにしています※。

被爆直後の長崎で救援活動の司令塔となった永野氏による電報は、核兵器の非人道性のみならず、その国際法上の違法性を最も早く社会に訴えようとした貴重なメッセージといえます。※国際司法裁判所は、国家存亡の危機下での核兵器の使用が違法か合法かの判断は差し控えている。

(赤十字新聞7月号から)