明治、大正、昭和、平成、そして令和…「人のいのちと健康・尊厳を守る」赤十字の活動はいつの時代も変わりません。
今年、日本赤十字社千葉県支部は創立130周年を迎えました。激動と変貌の130年、当支部の活動を支えてくださった多くの県民の皆様に、職員及び関係者一同、心からお礼申し上げます。
戦時救護から始まった活動は、災害救護、そして健康や安全のための活動へと広がっていきました。「苦しんでいる人を救いたい」という思いで、それぞれの時代の要請に応え、活動を続けてきた当支部の歴史を振り返ります。
130年のあゆみ
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1892年(明治25年)
千葉県委員部創設
明治25年11月16日、日本赤十字社千葉県委員部が創設されました。
最初の支部社屋(明治36年竣工) -
1895年(明治28年)
日清戦争救護
救護班が陸軍用船にて患者護送の任に当たりました。
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1898年(明治31年)
看護婦養成を開始
救護看護婦を養成するため、県立千葉病院(現千葉大学付属病院)内に看護婦養成所を開設しました。
支部最初の看護婦養成所 -
1899年(明治32年)~
県内各地で災害救護活動
天津町の暴風雨に伴う津波被害(明治32年)、銚子港外の漁船遭難(明治43年)、東葛飾郡・香取郡の水害(明治43年)などへの救護活動が記録されています。
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1901年(明治34年)
篤志看護婦人会千葉支会を設立
日赤最初のボランティアグループである「日本赤十字社篤志看護婦人会」の千葉支会が設立されました。
篤志看護婦人会 -
1904年(明治37年)~
日露戦争救護
傷病兵を収容して内地へ護送する病院船と各地の予備病院へ救護班2個班(54名)を派遣しました。
病院船「弘済丸」内の様子 -
1923年(大正12年)
関東大震災救護
千葉・佐倉・安房に救護所を設置し93名の救護員が従事したほか、東京にも救護班2個班を派遣しました。
芝公園に設置された救護テント -
1925年(大正14年)
富浦海浜学校を開校
全国初の虚弱児童のための小学校「富浦海浜学校」を開校し、この年173名の児童が入学しました。昭和24年に閉校となりました。
ラジオ体操をする子どもたち -
1926年(大正15年)
少年赤十字を創設
青少年赤十字の前身である「少年赤十字」が千葉県で創設され、5団1,100名が団員となりました。
本社総会に参加した少年赤十字団代表 -
1937年(昭和12年)~1945年(昭和20年)
日中戦争~太平洋戦争救護
病院船や国内外の病院などに、救護班16個班(676名)を派遣しました。
日赤本社を出発する戦時救護班 -
1948年(昭和23年)
成田赤十字病院を開設
日本医療団成田地方病院が日本赤十字社に移管され、成田赤十字病院として開設しました。昭和29年には現在地(成田市飯田町)に新病院が開設され、成田不動尊前から移転しました。
移転当時の病院全景 診療風景 -
1948年(昭和23年)~
赤十字奉仕団の誕生
県内各地で相次いで、ボランティア組織である「赤十字奉仕団」が結成されました。
救護用乳児肌着を作る赤十字奉仕団 -
1952年(昭和27年)
義肢製作所を設置
身体に障がいがある方々の義肢や装具を製作、修理するために、日本赤十字社唯一の義肢製作所が設置されました。
義肢の調整作業 -
1964年(昭和39年)
血液事業を開始
当支部内に血液銀行が設置され、血液事業を開始しました。同年、「千葉県赤十字血液センター」に改称。
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1978年(昭和53年)
赤十字看護専門学校を開校
成田赤十字看護専門学校が開校されました。平成27年3月に閉校となるまでの間、1,104名の卒業生を送り出しました。
成田赤十字看護専門学校の校舎 -
1995年(平成7年)
阪神・淡路大震災救護
神戸市へ救護班4個班を派遣(延べ19日間、114名)し、412名を診療しました。
被災地の状況を確認する救護班 -
2011年(平成23年)
東日本大震災救護
発災直後から約半年間にわたり、医療救護班やDMAT、こころのケア班等182名を派遣しました。
水没により孤立した避難所へ向かう救護班 -
2020年(令和2年)
新型コロナウイルス感染症への対応
流行初期から成田赤十字病院で重症患者を受け入れ、軽症者療養施設へ救護班を派遣するなど、診療を続けています。
ICUで治療にあたる医療スタッフ
ひとりでも多くのいのちを、救いたい。
130年にわたるあゆみに思いを馳せ、その歴史を受け継ぐと同時に未来を見つめ、これからもボランティアの皆様、ご支援いただいている皆様とともに赤十字活動の推進に努めてまいります。